昨日は会社に提出する課題の締切日でしたので、1時間程しか寝れませんでした
もういっそ徹夜でも良いかなと思ったのですけれども。少し時間があったのでベッドで横になって休んでみた。そんな感じ
ですので非常に眠かった(>。<)
気を抜くとぼんやりしがちな昨日。
娘が発した言葉に、はたと少しばかり昔の事を思い出し、目が覚めました。
その子供の言葉とは、鳩とカラスに対しての「同じようなもんでしょ!」というものです。
……鳩とカラス。
“同じようなもん”か否か。
私は昔、犬の散歩の最中に、カラスが鳩の首の辺りを咥えて飛び去っていくというショッキングな場面を目撃してしまったので。
食うか食われるかの関係だという認識すらあります。
まあ、同じ“鳥”ですけれど。
私が娘の言葉が気になった理由は、数年前の事へと繋がっているのです。
鳩とカラスを「同じようなもん」と言ったのは我が家の下の娘の方です。
現在5歳のその娘が、2~3歳くらいの頃。
娘はよくカラスを見て「ポッポ!」と声をあげていたのです。
ポッポは鳩の事だよね…と思う私は、その度に「あれはカラスじゃないかな?」と言うも、娘は「ポッポ!」と言い張りました。
私「カラスだよ」
娘「ポッポ!」
私「ママはカラスだと思うな?」
娘「ポッポ!」
私「カラスっぽくない?」
娘「ポッポ!!!」
絶対に主張を曲げない娘に、最終的に私が折れるというパターンが続きました。
私「カラス……」
娘「ポッポ!」
私「…ポッポとも言うかもしれないねー」(←やけくそ&“かも”と語尾を濁す)
こんな会話が一度や二度ではなかったのです。
しかも、鳩とカラスに限らずら、ジャガイモとサツマイモなど、他のものでも起こりました。
このような事が度重なると、まぁいつか分かるし、いっか!という気持ちになっていきました。
とにかく頑固なのですよ
その自信はどこから来るの?と言いたくなるくらい。自分の覚えている単語の方が正しいと考えているようでした。
私は押し問答をあまり何回を繰り返さず、一度は正しい答えを言うものの、「○○かもねー」と濁すようになりました。
ちなみに本来の『ポッポ』にあたる鳩を見ても「ポッポー!」と言っていましたから。
鳩もカラスも娘的には「ポッポ」だったのです。
ひよこは「ぴーちゃん」でした。
ところがある時、カラスを見た娘が「カラポッポ!」と言いました。
私「カラポッポ??」
娘「うん、カラポッポ~♪」
カラスとポッポ(鳩)の折衷案みたいなこの名前。
やっと私の言うカラスという単語も取り込んでくれたのかなと嬉しかったり、面白かったり。
そして、なんだかカラポッポという響きが可愛くて。
うん、カラポッポで良いな!と思いました。
それ以後、私と娘の間では、鳩もカラスも『カラポッポ』となったのです。
そして娘が鳩やカラスを見つけても、いちいち声をあげなくなっていくにつれ、娘との、鳩だカラスだ、ジャガイモだサツマイモだという議論は過去のものとなっていったのでした。
娘も成長して、単語と単語を繋げて喋るというより、だんだん“会話”が出来るようになっていったのです。
さて、話が昨日の出来事に戻ります。
娘の保育園へお迎えに行き、電車で帰る為、駅のホームを歩いていた時です。
ふと駅ホームの上部にいたカラスらしき鳥に目が止まった私。
「あれ、カラス……?じゃなくて、あぁ、やっぱり鳩かぁ」と呟きました。
激しい寝不足でぼやっとしがちでしたので、あぁ鳥がいる。黒っぽい…カラス?いや、鳩か……と、心で思った事が口から漏れていた感じです。
そんな私の言葉を、娘はしっかり聞いており、言ったのです。
「同じようなもんでしょ!」と。
私は反射的に答えました。
「いや、全然違うよ??」
娘はさらっと繰り返しました。
「同じ同じ!」
同じだと繰り返されてしまうと思い出すのが、両方ポッポだった頃や両方カラポッホだった頃です。
娘の中では今もやはり鳩とカラスは同じという事なのでしょうか。
フラミンゴやニワトリ、カモメなど、もう他の鳥の名前も知っているのに。
娘の中の鳩とカラスの定義はどんなものになっているのか……考え巡らすと面白くて。
いつか娘がもう少し大きくなったら、昔は本当に鳩とカラスを同じだと思っていたのか聞いてみたいなと思いました。
カラポッポ……私の中では可愛くてお気に入りの単語です笑
眠い頭でしたが、しっかり昔を思い出し、時の経過を感じました。
子供の成長は早いですね。
そして毎日毎日があっという間に過ぎていくこの感覚ですから。
会社からの月に一回の課題。
次の締切もすぐにやってくるに違いないわけで……
来月こそ寝不足にならないよう、計画的に進めたいものです