お問い合わせは、この上に表示されているカテゴリーの一番右にございます。
NO IMAGE

明けましておめでとうございます!(注:新年早々、暗~い話です。次は明るい記事に戻しますm(__)m)

  • 2020年1月5日
  • 日常
  • 10件

新年明けてからもう5日も経ってしまいましたが、皆様、明けましておめでとうございます❗
昨年末から色々ありまして、ガクッと投稿ペースが落ちておりましたが、気持ちを入れ替え、徐々にペースも戻して行きたいと思っております。
今年もよろしくお願い致します❗

さて、こんな風にひとつの記事を投稿してから次まで、長い期間が空いてしまったのは体調を崩した時以来でしょうか。
いや、体調を崩した時ですら、一週間以上空くことはなかったかもしれません。
この一週間……その間に、年は2019年から2020年へと変わりました。
私はと言いますと、年末年始も仕事のある主人を自宅に残し、自分の実家に帰っておりました🏠
自分の育った家なのだから、のんびり過ごしていたのだろうと思われる方が多いと思います。
ですが、我が家の場合、そうでもないのです💦
最近は帰省ブルーなんて言葉も耳にするようになりました。
私は夫の実家に帰るわけでなく、自分の実家に帰るのに、まさに帰省ブルーだったのです。
実家には姉がいる。そして父がいる。
母には会いたいけれど、実家に帰るのはものすごく嫌でした。

今、母は調子が良くありません。
まだ重度ではありませんが痴呆の症状もありますし、足が痛いらしく、長時間の歩行は厳しくなっています。
母は間違いなく私の一番大切な家族ですので、母を助けたい思いは山ほどあるのですが、その都度、姉と父(特に姉)と意見が衝突し、先に進めていません。
そんな今の状態で実家に行きますと、私は自分がどんな役回りになるか、分かっているから悔しくて、嫌で嫌でたまりませんでした。

私の実家は父、母、姉、私の4人家族です。
私は結婚し、家を出ましたが(結婚する前から一人暮らしもしていました)、姉はまだ結婚せず実家に住んでいます。
今年に入って母の調子が悪くなってから、家族で話し合う機会は幾度か持ってきました。
我が家の一言では語りきれない家族関係の為、家の中で家族だけで話し合うのは危険だからと、わざわざ外で、喫茶店などで話し合いました。
いつも構図は決まっています。
母が肉体的にも精神的にも弱っているという事実を前に、父はそれを姉のせいだと言い、姉は父のせいだと言う。
平行線のまま、決着がつくことはありません。
最終的には論点をずらしてその場だけしのぐ。
その繰り返しなのです。
父と姉は昔から喧嘩ばかりでしたので。
私はその父と姉の争いも、母を傷つけている要因だと主張しますが、基本、二人ともひきません。
そして一応、父が少し引いて終わります。

父は別居していた期間がありますので、昔の私は姉の肩を持っていました。
しかし、大人になり、結婚し、自分も子を持ち、少しずつ、見方は変わっていきました。
そして最終的に今、やはり姉が間違っているという意見を持っています。

実家に住んでいる姉。
自営業で、それなりの収入はあるようですが、家には一銭も納めた事はありません。
ゴルフ場の会員権を買って多い時は週3でゴルフ。
自分も面倒をみるからと母にプレゼントした犬(大型犬)の世話を結局ほとんどせず。
もちろん犬の世話をしないだけでなく、基本、家事はしません。やるのは自分の事だけ。
ブランド品大好きで、外では一人バブルな生活ですが、例えば家で食べる用にチーズなどを買ってくれば、そのお金を年金暮らしの母に請求しているケチっぷり。
こんな事実がある限り、姉がどんな事を主張しようと、虚しく聞こえてしまいます。
いくら幼い頃、父に精神的に傷つけられたとはいえ、それから30~40年経過しているのです。
もはや親の弱点をついてパラサイトしているとしか言えません。

……私が大好きだった姉に対し、上記のような表現を使うに至ったのは、とある喫茶店で家族で話し合いをしようと待ち合わせた日の事。
早めに着いた私は、家から来る母と姉を駅に迎えに行きました。
改札で待っていると、姉と一緒に来るはずだった母が一人でゆっくりやってきました。
あれ?お姉ちゃんは?と聞くと、先に行ってしまったとのこと。
姉は足が痛くてゆっくりしか歩けない母の速度に付き合わないのだとか。
先に行っては振り返り、待つ。
その繰り返しで、電車でも、開いてる席を見つけて母を置いてさっさと座ってしまったとか。
そうしているうちに途中ではぐれたのだと聞きました。
しかもその日、改札で会った母は、集合場所の喫茶店を思い出せずにいました。
携帯も家に忘れてきたらしく、もしも私が迎えに行ってなかったらどうなっていたか……
その日、私は産まれて初めて姉を心の底から軽蔑しました。

それでも血の繋がった姉だからと。
僅かに気持ちは残っていますが。
姉が物忘れをした母にキツい言葉を浴びせたり冷たい態度をとる度に、僅かに残る姉への気持ちが本当に消えそうで、悲しくて悲しくてたまりません。

人は変わるもの……なのでしょうか。
私の中の憧れで自慢の姉は、もういないのでしょうか。

母には何度も私の所で一緒に住もうと言っているのですが。
母は時に涙を流してありがとうと言った後、それでも姉を残して実家を去れないと言い切ります。

年末年始、実家に帰った私は、結局いつものように家事をしました。
母の具合は思った以上に良くないので、台所に立てない日もありました。
姉は例年通り、ご飯だよと呼びに行けば部屋から出てくる人のままでした。
私も気持ちが疲れて少しイライラしてしまった時がありました。
母は敏感にそんな私のイライラに気付いて、私が可哀想だと涙しました。
せっかく実家に来たからゆっくりして欲しかったのに、全部やらせてしまってごめんねと泣いてしまったのです。
私はイライラを出してしまった自分を悔いました。
お母さんの為に帰ってきたんだから、お母さんはゆっくりしててよと言いました。

食事が始まり、どんなに豪華な食事や特別なワインを前にしても、味なんてしません。

……そんな年末年始でしたから。
いつも脳内お花畑な私も、さすがに気持ちが落ちるところまで落ちていた感じで。
いつもなら推しの子に熱くなる心も、燃料がカラカラで火がつかない、そんな感覚を久々に味わっていたのです。

今は自宅に戻り、主人や優しい義理の姉夫婦にも元気をもらって疲れがとれてきました。
母の事、実家の事は、周りからの助言もあり、これからどう対応していくか、考えもまとまってきています。
今年は始まったばかりですが。
今年の年末、そして来年のこの日を、今より良い状態で迎えたい。
母の肉体的な老いは進むでしょうが、精神的に休まる日々、笑顔になれる日々にしたい。
その為に、私も努力しなくてはなりません。
私はなんだかんだ姉と真っ向から向き合う事を避けてきました。
でも、もう逃げてばかりはいられないのでしょう。
今年はちょっと覚悟が必要です。

久々に書くブログでしたのに、暗い愚痴のような話ばかりになってしまいました。
本当にすみません😣
でも、書いたらすっきりしました✊
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます❗
年末年始、良い事もあったので、次回からはいつも通り、明るい話になります😄
今年の愚痴を最初に全部出させてもらった、そんな感覚です。

2020年、良い年になりますように🐭

NO IMAGE
最新情報をチェックしよう!