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年賀状という文通

明けておめでとうございます
2019年ですね
後厄であった昨年が終わり、もうこれで人生の厄年は全て終わったヽ(≧▽≦)丿と、喜んでいたのですが。
厄年って60代にもくるのですね……初詣行って掲示を見るまですっかり忘れていました
とはいえ、30代って厄年ばかりじゃないですか。
その厄年ラッシュを終えた解放感で良い気分なので!来る60代まで自分の年齢は忘れて過ごす事にします

さて、元旦の昨日。日中は子供達と遊んだりしつつのんびり過ごしましたが、夜中、子供達が寝てからは年賀状書きに入りました
年賀状。今年はいつになく準備が遅くなり、書き始めるのが1日の夜
すっかり遅くなったので、焦りを通り越してやる気がなかなか湧かなくて。
作業に入ったのは深夜で、もう日付が変わってからです
今年は64枚。その中の約50枚くらいを昨晩書き終えました
けっこうな枚数になるので宛名は基本印刷ですが、必ず手書きの文章を加えて出すようにしております。
なので、50枚書いてるいると手が痛いです
自分の字の汚さも痛感するのがこの時で。
子供の頃にもっと真剣に練習しておくのだったと思う瞬間です。
自分がそんなですから。子供達には厳しめに“字は丁寧に”と言っているのですが……どうなることやら
そんな風に、年賀状を書いていると色々な事を考えますが、不思議なのが、この年賀状を書く作業。最終的にものすごくあったかい気持ちになれるのです
相手の事を思い浮かべつつ、文章を書いていると、人間って良いな…みたいな。どこかの歌の歌詞のような事を感じてしまうのでした。
もう何年も何年も会っていない人なんて。街ですれ違っても分からないかもしれません。
ですが、年に一度の年賀状の中では会えていてる。
数行ずつの文通のようなやりとりが行われている事が、とても嬉しい繋がりだと思います

ちょっとした自慢なのですが、私は小学校でお世話になった先生にも、いまだに年賀状を書いております。
小中高の先生方、部活の顧問、大学のゼミの先生。
先生方だけで、けっこうな人数です
一昨年は上の娘が小学校に入学した年でしたので、昨年の年賀状を書く際、小学校でお世話になった先生方には特別な思いが加わりました。
特に1年生の時から数年続けてお世話になった先生には、難しい時期に自分を導いてくれた感謝と、娘にも私と同じ先生に担任になって欲しいくらいだという気持ちを年賀状にも書きました。
すると、先生からのお返事に(私が送ってから先生は年賀状をくださります)、『好きでなった教師ですが、怒りすぎたかなと反省しています』『担任を受け持たせてもらい、感謝と同時に申し訳なく思っています』という文章が返ってきたのです。
とても意外でした。
確かにその先生は怒ると怖いと有名でしたが、とても生徒思いで優しいのです。
私の中ではむしろ、悪い子を取り締まってくれる優しい正義の味方という認識でした。
小学校低学年の頃の先生ですから。善悪の定義も含めて教えてくださったような絶対的な存在。
なぜ、申し訳なく思われるのか。少し寂しい気持ちを覚えました。

色々考えた末、私にとって絶対だった先生でさえも、人ですから。様々な思いを抱えて仕事をされていたのだと感じ、それを年賀状で私に垣間見せてくださった事に、不思議な感覚になりました。
私も少しは大人になれたのかなと。嬉しいような寂しいような気持ちでした。
と同時に、例えば自分の今の仕事で上手く行かない事があっても、あの先生ですら、悩みながらやってこられたのだから。
私が悩むこと、上手く行かない事があっても当然なのだと、人生の難しさを前向きに捉える意識に繋がったりもしたのです。

ただ最終的に、先生に『申し訳ない』なんて気持ちがある事が寂しく悔しい気持ちは残りました。
何か先生伝えたい。そんな“何か”を手紙にするわけでもなく、結局はまた今年の年賀状になってしまったのでした。
今年の年賀状には昨年頂いた年賀状の文章に少し触れ、『私は先生に尊敬と感謝しかありません』という言葉をまぜて書かせて頂きました。
年賀状の中の、決して多くはない文章。
けれどその中に込めた思いを考え汲み取るこの作業。
とても貴重な時間なのだと思っています。

私の思いも先生に伝わりますように。

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