私は父がどうしても好きになれません。
それどころか、最近は嫌いで嫌いでたまらないのです。
日に日にどんどん嫌いになっていく。
嫌いになるばかりでそれが止まってくれなくて。辛かったです。
そもそも私は生まれてからあまり父との接点を持っていませんでした。
私が20歳くらいまでの父は、年末年始くらいしか帰ってこない存在でしたから。小さな頃の私の中の父親像は母が語ってくれる父でした。
まあ…性格に多少の難はあれど、立派な父親。
それが母が私に抱かせてくれた父の姿です。
小学生の頃の私は世の働く父親は皆、なかなか帰ってこないものとすら思っていましたから。
友達の家で、ばったり友達のお父さんに会ってしまった時なんて、本当にびっくりして。
お父さん働いてないの!? なんて失礼な事を思ったくらい。
一度だけ母に、「なんでうちのお父さんって帰ってこないの?」と尋ねた事がありました。
その時、確か母は、仕事が忙しいからとか、そんな理由を話したような気がしますが、私はよく覚えていません。
覚えているのは、母の返答より、一瞬見せたとても困った表情と雰囲気。
あぁ、この質問はしない方が良いんだなと思ったので、以来一度もそうゆう質問はした事がありません。
父は年末年始以外でたま~に帰ってきても、八歳離れた姉と激しい衝突をするばかりなので。私にしてみれば帰ってこない方が平和でした。
父が年末年始以外にも家に帰ってくるようになったのは私が大学生になった頃の事。
大きくなるに従って、なんとなく家庭の事情等々は分かってきていましたが(浮気や別居)、成人した頃、細かな事情が分かるようになっても、父に対する気持ちの変化はそう大きくはありませんでした。
それは要するに、幸せな事に、小さな頃に母が語ってくれた“立派な父親像”というものが、私の中には残っていたのです。
ですがもう近年、母が作ってくれた立派な父親像はボロボロになっていくばかりです。
母が認知症になってから。父の言動はどんどん悪くなっていると、私には感じられるのです。
今まで唯一父に助言が出来る存在だった母というストッパーがなくなった父は自分勝手が極まってしまったと。私にはそう感じます。
父も疲れやストレスを抱えているのは理解しているつもりですが、それでも私に剝き出しの感情をぶつけすぎだろう…って。
私は父がどんどん嫌いになっていくばかり。
そもそも昨年末、父との事で忘れ難い嫌な出来事がいくつもあり、私の父が嫌いだという気持ちはとても強くなりました。
それでも日々を過ごす中で和らいできていたのに。
先日、お盆で両親と接する機会があった時、私の父に対する嫌悪感はまたいっきに増幅しました。
ワクチンは接種済みだからと、母をつれて我が家に泊まりに来たのですが。
相変わらずの偉ぶった態度に飽き飽きです。
本当に心の底から思いました。
父は自己中心的で他人に気遣いが出来ない人間だなと。
私の出会った人の中でもトップクラスの寛容さを持っている主人ですら、もはや呆れるくらいでしたから、本物でしょう。
父は社会的に見ればそこそこの地位だってある人物なのですが、一歩家に入ってしまったら所詮この程度のもんなんだと、嫌悪感しか抱けません。
口では知識人ぶってリベラルで、あたかも自分が細かな差別などにも配慮や理解があるかのように言っているくせに、たぶん根っこは全然別。
亭主関白傲慢野郎だと、思っています。
憎らしい。
私が信じてきた“立派な父”なんていなかった。
私は父に誕生日だってバレンタインだって父の日だって、プレゼントを渡しているのに。
私は誕生日プレゼントもホワイトデーも、そうゆう記念日にプレゼントをもらった事など一度もない。
忘れもしない大学生の日に受けたとある電話。
父から携帯にかかってくる事なんてめったにない(記憶にない)のに、授業中に着信があって。
授業後にあわててかけ直すと、開口一番「おまえの生年月日教えてくれ」と言われたあの時。
なんでそんな事を聞くのかな?とショックだった。
友達には笑い話で「なんか生年月日を聞かれたんだけどー」なんて言ったけれど。
私は両親がちょうど40歳の時に生まれた娘。
キリが良いから、私は両親の生年月日、すぐに頭に浮かぶのに……。
それでも母は言ってくれました。
「お父さんはちゃんとあなた達の事を想ってるから」と。
私は母の言葉を信じていました。
今思うとそれは母のかけてくれた魔法だったのかもしれません。
私の父は立派な人。
心のどこかで信じていたし、信じていたかったです。
でも、母の認知症が進むにつれ、母のかけてくれた魔法は溶けてきています。
お盆より少し前の事ですが、父からの無理なお願いや、母や姉(父と姉の仲は最悪です)への愚痴の嵐にたえきれずに、「なんで私にばかり言うの!」と言った時には、「それはおまえがオレの娘だからだよ!」と逆ギレされました。
親子ってなんなのでしょう……。
父に何か親らしい事をしてもらったかな?なんて。
私がして欲しかった父親らしい事は何もしてくれてないじゃないか…と思いました。
やってくれたのは全部母です。
それでも父に何かしてもらったこと……と、考えて思い浮かぶのは、学校(教育)です。
好きなところに好きなだけ行かせてもらいました(社会人になるのが遅めな方でした)。
リアルな事を言うとお金を出してくれたから。
恩があるから返さなくては。そう思っていました。
しかし、父にはそうゆう金銭的な恩があると主人に打ち明けると、その時主人が言ってくれました。
「親が子供の為にお金を出すのはあたりまえだよね?俺達だって子供達の為に学校の費用とか払うでしょ。で、払ったからって将来、今お父さんが言っているような事を子供達に言う?」と。
「言うわけないじゃん!」と答えた時、私の気持ちはだいぶ楽になりました。
父が嫌いで嫌いで堪らなくなるのと同時に抱く罪悪感が和らいだのです。
父が嫌で嫌で嫌で。本当に嫌いになっていく一方な日々。
それでも、最終的に思い出してしまうのは、父にとっての孫、私の子供達の事を話している時の“おじいちゃん”な父の姿。
憎らしい程嫌なのに、最終的にはそういう自分にとって好ましい部分を思い出してしまって。強烈な悲しみが込み上げてきます。
いっそ父の全てが大嫌いになれば楽なのかな?と考えて、それを望みます。
でもやはり、全部大嫌いになってしまいたいのに、私の中にある好きな父の記憶がそうさせてくれなくて。苦しいです。
家族ってなんて厄介なんだろうと思います。
色々と勝手な事を言っているのは分かっているのですが……とにかく心のモヤモヤが晴れなくて。
そのモヤモヤがどす黒い感情になっていくような気がして自分自身も嫌になりました。
そんな中、義理の姉とのLINEで、私は父が本当に気を遣えない人で嫌だと愚痴らせてもらいました。
すると姉は『そんな事ないと思うよ、お父様お会いするととても気を遣う方だなぁって思ってます。ごめんね、勝手な解釈💦本当素敵なご両親です✨』と返してくれたのです。
関係としては義理の姉ですが、私にとって本当の姉のように感じている、とても信頼している人なので。
この言葉は私の心に響きました。
父と私は気を遣う場所が違うだけなんだと。
だから、私がして欲しい事や言って欲しい言葉がない、そこには気を遣わないだけだと。
そう考えると今まで増幅する一方だった嫌悪感の膨張は一度止まりました。
全て嫌いになろうとするよりも、ある程度は受け入れる方がやはり楽になるのかなと、思えました。
そこからぐるぐると色々な考えが巡りまして。
善悪って何だろう…みたいな話です。
例えば私には“悪”と思える事柄でも、別の人にとっては“善”の場合もある。
私にとってこの人は好きになれないと感じる人も、別の人からすると素晴らしい人なのかもしれない。
きっと感覚や考え方が違うだけなんだなぁって。
そもそも感覚や考え方って人それぞれで。違っていて当然の事。
じゃあよく言う普通って何だろうって。
普通の基準って、なんて曖昧なんだろう…みたいな。
次から次へと考え始めたら、父の事から思考が離れていきまして。
一周回って落ち着いてきました!!
せっかくの夏、なんだかドヨドヨした気持ちで過ごしてしまって。
もったいない事をしました。
残りの日々はエンジョイするぞー✊
最後に……この記事を読んでくださった方、暗くて重い話で申し訳ありません😣
私的には書いて整理できるとより落ち着く感じなので。
お付き合いくださり、ありがとうございます!